人格を積分することができれば同一人物であるといえる
今日は哲学の話を聞いていたらこんな話があって
Aさんは借金をしているが返済はしないと言っている.Aさんの言い分は次の通り.
「私はどうやら借金をしている人物と名前・指紋・DNA情報が一致しているらしい.それは認めよう.私に双子の兄弟はいないし更に私には5年前に借金をした記憶もある.だがしかし,5年前の私と今の私は同一人物ではない.私は変わったんだ.髪は金髪になっているし色んなものの好みも違う,借金をした人物は12歳だったが私は今17歳だ.このように,私は借金をした人物とは同一人物ではない.ゆえに私は他の誰かの借金を返済する義理はないのです.」
もう往復ビンタしたくなるような主張だけどな.
この主張が通るかどうかという問題でした.
ってか12歳で借金てどういうことやねん!
世の中のルール的にもこの主張を通したらいかんのだけれども,僕はこの問題に対して積分の考え方でAさんを黙らせようと試みました.
まずAさんの主張としては,好みや年齢,つまり人間の中身が違うから同一人物ではないというものだった.
しかし,借金をした5年前の自分と違う人物になっているのならなんで借金をした記憶があるん?
仮にAさんが微小時間dtごとに好みとか性格とか記憶とかで構成される”人格”がリセットされるのなら,Aさんの主張通り微小時間dtごとに違う人物になっていると言えそう.
でもこの問題のAさんには5年前借金した記憶があるやん.
つまりAさんの中身(人格)には5年前~現在までの連続性がある,つまり積分可能ということになる.
人格という名の関数があったら,ー5年 → 0年(現在)まで積分した領域が問題におけるAさん自身を表しているから
5年前借金したAさんと現在のAさんは同一人物.つまりAさんには借金返済の義務があることになる.
でもこれを他の先生に話したら
人格という名の関数がステップ関数みたく”同じ関数であるけど連続性が無い”って感じだったらどうする?
って指摘をもらって
確かに記憶が引き継がれてるからと言って人格関数の連続性を保証することは難しいななんて思いました
という感じでな,理系的性格の悪さ全開な理論を考えてたけど.
哲学って割とロジックというか
色んな考え方があるけどどれも納得できそうなくらい筋が通ってるんだよな
その昔は哲学と科学はセットというか
哲学の発展が科学の発展を支えたみたいな話を聞いたけど
今日はほんとそんな感じだったな
おもしろかったです